腐敗して俯瞰される

自分はいつまでも特別で、この世界の中で唯一の存在とずっと思っている。

だからこそ、人を妬むし、羨んだりするんだと思う。

 

いつでも決断を委ねられている。

けど、それってあるべき場所に物があって、必要とされる物にだけ意味があるのと一緒で

私たちはいつか終わりがくると分かっている世の中で

何回そういう風に感じるかが重要なんだと思う。

 

なるべき者はなる、ならざる者はならない。

 

最初から選ばれているし、どこかで開花する花の様に季節がきたからと、順番だからとかは一切ない。

 

私たちはいつかいつかと出番待ちしてる商品ではない。

 

私はどっちでしょうか。

期待されるリーダーと自由人

卑屈になって大人の意見を聞かずに、自分の理想や夢を投げ捨てて、思いもしてないことを口にする格好の悪い人間になってしまった。

 

夢を語る事は恰好いい事。

分かってる。

 

けど、自分がその理想とかけ離れた無謀な事を口にする勇気や自信がないから。

自分が今まで口にしていたことは嘘でした。という態度をとってしまう。

 

私っていつから恰好が悪くなったんだろう。

いつから道を遮断して次の扉を開くふりをしてるんだろう。

 

楽しいと思いながら気になってしまう今、この瞬間に。

寄り添えるように、もっと周りを巻き込めるように、私の気持ちを他の誰かに伝える事ができるように。

 

私の夢は私自身が実現させて、それに伴って私は生活をして。

誰かにエネルギーを注げる、人間になるのだと。

誰かに影響を与える人間になるのだと。

生きていて、良かったと、ずいぶんと遠回りしてしまったけども、両親や家族に心配かけないのだと。

 

夢を叶えるのは目を覚ます時だ。

ピザ屋の彼女になってみたい

Why?

 

日常でありふれてるホワイ?

 

与えられる事よりも、枠の中に居ながらも自分で何かを創りだすのが好きな私です。

列に並ぶのはとても苦手で、だけど注目を浴びるのも本当は好きではありません。

誰かに何かを伝えて、それが伝染していって、いつかその誰かが、何かをしてくれる方が本当は好きです。

 

中学生の頃に気づきました。

 

「私って声を大にして何かを叫んだり、伝えたりするの好きじゃないなぁ」って。

物事の中心にいるのが好きじゃないんですよね。

おしゃべりな人が隣に居たらずーっと聞いてたいし、表情豊かに会話できる人がいるなら頷いてたい。

受け身で居られる、心の余裕と、ユーモアは2つセットで持っていたいんです。

 

大多数に伝えたい本当の事って、恥ずかしい事じゃありませんか?

分かってほしいから伝えるって感情的じゃないですか?

そういう行動が苦手なんですね、私。

 

他人は他人だから、自分が思ってほしいこと思ってくれないんですよね。

それって分かってる事なんですよね。

 

言葉にして、文字にして伝わらないから、行動するんですよね。

そういう所、男っぽいなぁって思うんですよ。

けど、その肝心の行動を客観視したときに、格好良くないから自己嫌悪しちゃうんです。

まだまだ大人にはなれない、チルドレン。

 

楽しいって気持ち、共有したいから、自分が思うWhyを行動にして、

一緒に何かをして、これって楽しい事だよね?って確認したいんです。

 

あらかじめ、分かってるんですよ。

楽しい事が起こりそうな人、場所は決まってる。

 

素敵な人、場所は、一人でも一つでも素敵なんです。

罪と罰

毎日お疲れ様です。

 

先日、エリアマネージャーとの面談がありました。

ただ今、ブラインドタッチの勉強中、私です。

 

私が今働いてる場所の大人達は本当に恰好がいいです。

 

毎日、思います。

 

ただ恰好いいだけでなく、周りの様々な人、事に気づく。

兎に角、広い心と視野で観察していて、その全てをポジティブに会社の為に伝えてくれます。

 

今まで出会った大人達は、情熱はあったかもしれないけど、それを言葉や行動に表す人達は少なかったように感じます。

 

ここにいる理由を、信念を、いつも忘れずに持っている。

 

そういう大人に私も早くなりたい。

働くって楽しい。

感動刹那

感動したことありますか?

心が動いた事がありますか?

 

Experience=経験。

 

感動とは自分が思っている予想外の事が起き、それが更に期待を上回っている事だ。

思っている以上の事が起きないと人間は感動をしないのだ。

 

自分の価値観という狭い世界の中で私達は生きている。

 

人と接して、交わっていく中で、Why?何故?と衝突することがたくさんある。

毎日ある。

 

その小さな価値の中で同じ接合部分を繋げていって、やがて線となり共感できる相手になる。

 

自分の常識と相手の常識は全く違う。

普通や適当は、いい塩梅で出来ているようで、違う。

 

それがまた、個性なのか非常識なのか、失敗なのか自分の中で分類していく。

 

一つの一つの行動には必ず意味がある。

無意味な行動等、何一つ無い。

 

それを理解してるか、していないかで、最終的な結果は違うのだ。

 

自分のこのもやもやとしている曇り色の気持ちを文字にするには

沢山の語彙と表現力が必要みたいだ。

 

macbookを買うか悩んでいる場合ではないと気づく。

社会的責任と保障を受けるオカマ

ここ数か月、一生懸命働いています。

 

yutoriokama.hatenablog.com

 

2017年に入って、この仕事(バイト)を続ける事は出来ないって思った時に新しい仕事を探しました。

案の定、過去記事を書いた日から以前の職場には行かなくなり、人間として最低な退職をしましたが、モラルのない経営者から離れた精神的な開放は私にとって、とても大きい事でした。

 

そして私は数年前に退職した、自分がやりたいと思った仕事に戻りました。

 

あぁ私はふつうの生活も、安定した収入のある仕事は出来ないんだなぁー。

貧乏でもやりたいと思った仕事しか出来ないと、確信しました。

 

なので先月、アルバイトですが社会保険に加入させてもらった時に大変うれしかったです。

人生、初めての経験です。

 

私の日常は、そこまで社交的ではないし、いつも笑っているような明るい人間でもありません。

だけど、そこに行けば素敵な人達が働いていて、自然と楽しい気持ちになるし、ポジティブになれる。

自信を保てる不思議な魅力のある職場です。

 

仕事に情熱にもてるのは、やはり、やりたいか、やりたくないか。

自分がどうありたいか。

が、とても大事だなって思います。

 

私はいつ死ぬか分からない、明日死ぬかもしれないと思って生きています。

だからか、楽しい事をどうしても選びがちです。

お気楽で、良い事ではないかもしれません。

 

一生懸命働いてる会社員も、力仕事をしている人たちも尊敬しています。

ただ、自分の仕事に不満を抱いて愚痴ばかり言う人は尊敬できないです。

 

魅力的である上司に私もなりたいのです。

 

大人が跳ぶ時

私は今26歳だ。

十分に大人であり成人しており、選挙権と税金を納める義務がある。

それでも私の両親からすれば、私はいつまでも子供であり、私から見る年上の人たちは大人だ。

 

大人がジャンプして跳ぶ瞬間を見るのってどれくらいだろうって言うくらい、大人が跳んでた。

大人が跳ぶ瞬間があまりに不自然で違和感があり可笑しかった。

だれも大人が跳ばないと言ってないけど、そう思った。

 

彼等はあまりにも純粋で無垢でキラキラとした笑顔だった。

スポットライトを浴びながら出てくる瞬間と同時に鳥肌がたち、気づいたら大きな歓声に包まれながら私の目のまえをあっという間に過ぎていった。

 

やっぱりスターなんだなって思った。

ライトを浴びる人達は浴びる意味を知っている。

自分を理解している。

そしてこの中毒性のある光を永遠に浴びれると思っている。

そんな儚い時間の中で夢を見ている。

 

やっぱり音楽って良い。